革命の意味と、プロレタリアートの動かすべからざる革命的任務とを十分理解しているとはいえない批評や、提案や、依頼に対して、レーニンがある時は沈思し、ある時はまだるこそうに皮肉に、ある時は悲しげに同情的に応答した様子は、尽きぬ興味を与える記録の一つである。
レーニンとゴーリキイとの間に見解の相異があるということは、その頃しばしば国内的にも国外的にも逆宣伝に利用されたが、当時の革命の指導者達は、一九一〇年にすでにレーニンによって洞察されていたゴーリキイに対する評価を決して変えなかった。
「プロレタリア芸術のことに関しては、エム・ゴーリキイは一個宏大なプラスである」と。
一九二三年、レーニンは自身もう病気で苦しんでいたにかかわらずゴーリキイの健康をひどく心配し、すすめてイタリーのソレントに住まわせた。
ゴーリキイのイタリーにおける五年間の生活は、たえまない注意でソヴェト同盟の建設を研究することと、今こそ彼の目にも全貌を示した反革命的陰謀からソヴェト同盟の建設を擁護するための、大小様々の活動であった。革命運動から転落してイタリーへ行ったと思いたがっていた資本主義国の支配者は、ゴーリキイが年
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