大衆自身の力によってこそ取り除かれるものであるという明白な確信の上に立っていることは、深くゴーリキイを感動せしめた。
 しかしながら、ゴーリキイには当時のロシアの社会事情ではソヴェト政権が階級としてのプロレタリアートの独裁のもとに樹立されなければならないということは、政治的問題としてなかなか腑に落ちなかったらしい。彼は、インテリゲンツィアというものは無条件にいつも進歩的であるように考え違いしていた。そのために新しい社会は、無差別にインテリゲンツィアと革命的労働者との階級的混成指導部によって建設され得るのではないかという混乱した見解をもった。レーニンと意見が一致しかねたのはこの点であった。ゴーリキイは過去において、まだ労働階級の自覚が乏しかった時代、ロシアの革命の主導的な力はインテリゲンツィアであったという、社会史の一定の時期にあった現象に執着してこの見解をもったのである。
 ゴーリキイの「ヴェ・イ・レーニン」はまことにゴーリキイらしい飾り気なさ、温かさをもって彼とレーニンとの意見の相異についても書いている。ゴーリキイの誠意に満ちた、ひるむことのない、だが決してロシアにおけるプロレタリア
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