ゴーリキイは大衆に混ってこの歴史的殺戮の証人となった。戦慄すべき記録「一月九日」はかくて書かれた。引きつづいてロシアの各地に勃発した人民殺戮に対する抗議のストライキの間、ゴーリキイは正義の擁護者としてきわめて具体的な活動を行った。
それを理由として政府はゴーリキイをペテロパーヴロフスク要塞にぶちこんだ。政府はロシアばかりか外国でまで行われたゴーリキイ死刑反対の大示威運動におどろいて、余儀なく釈放したのであった。
不幸なロシア人民の解放運動資金を集めるためにゴーリキイは次の年アメリカへ講演旅行に出かけた。ツァーの秘密警察は手を廻してゴーリキイについての醜聞を流布させ、その計画を妨害した。ゴーリキイの肺病はこれらの激しい活動の間に悪化して来た。アメリカからの帰途イタリーのカプリ島により当分そこで静養することにし、一九一三年ロマノフ王家三百年記念の大赦によってロシアにかえるまで八年間カプリに止った。
ところで、非常に一般化されている「どん底」に一言ふれるならば、この作は傑作であるにかかわらずゴーリキイの発展の歴史及びロシアの労働者階級の発展の歴史、どちらから見ても一時の後退を示した作品
前へ
次へ
全32ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング