目である。革命運動をしたというのであったが、証拠がなくて許された。
 一九〇一年、ゴーリキイは初めてペテルブルグに現れた。今は誰知らぬ者ない「フォマ・ゴルデーエフ」の作者、「三人」の作者、鋭く小市民性に反撥して人生の叡智を勇者の飛躍にあることを示した「鷹の歌」の作者、フランス・アカデミーのユーゴー百年祭にパリへ招待された国際的作家マクシム・ゴーリキイである。
 ある日ゴーリキイがペテルブルグの数多い橋の一つを歩いていると、理髪屋風の男が二人づれでゴーリキイを追い越して行った。が、一人の方がびっくりしたように小声で仲間に云った。
「見ろ、ゴーリキイだぜ!」
 もう一人の男は立ちどまってゴーリキイを頭のてっぺんから足の先までじろじろ眺め、やりすごしてから夢中になって云った。
「――えい! 悪魔め――ゴム靴をはいてやがら!」
 ゴーリキイはこの時すでに彼自身の表現によれば「マルクス主義者に近い」者となっていた。当時三十三歳であったゴーリキイより二歳年下のレーニンは妻クループスカヤとミュンヘンにいて社会民主党の全国的新聞『イスクラ(火花)』を出すために活動し、有名な「何を為すべきか」を書き上げ
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