ール・チュードラ」がチフリス新聞『カウカアズ』に掲載されたのはまさにこの時なのであった。
 ゴーリキイは「マカール・チュードラ」をきわめて無邪気に書いた。輝くような話し手であった祖母に似てゴーリキイ自身なかなかたくみな話し手である。友達に放浪時代の見聞を話した。友達は感歎し、ぜひそれを書けとすすめた。そこで、ゴーリキイは書いた。頑丈な二十四歳のゴーリキイの胸に溢れるロマンチシズム、より高く、より強く、自由に美しく生きようとする憧憬を誇り高きジプシイの若者ロイコ・ゾバールの物語にもり込んだ。一篇の「マカール・チュードラ」は当時の蒼白い、廃頽的な、幻をくって溜息をついているようなロシアのブルジョア文壇に嵐の前ぶれの太い稲妻の光をうち込んだ。バリモント、メレジェコフスキー、ソログープ、チェホフもトルストイも、ロシアにどのような力ですでに労働階級が発育しつつあるかを理解しなかった。ゴーリキイもロイコ・ゾバールの物語では労働階級の存在にも問題にもふれていない。一見彼もプロレタリアートとは何ら無関係のようにある。それにもかかわらず、「マカール・チュードラ」を貫いて流れている熱い生活力、不撓な意志、
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