レンコにあっては知的蓄積、ゴーリキイにあってはその鋭い生活的追求力にもかかわらず、正統なマルクスの唯物論というのは、複雑な現実を切って殺して理論の四角い枠にはめるのでなく、逆に最も錯綜し、からみあった事物そのものの根元的矛盾をそのいきいきした発展の道ゆきに於て明らかにし、見透しを与え、より真理に近づく可能性をもつものであることを理解し得なかったのである。
 このことはゴーリキイの生涯にあっては後々も或る尾を引いた。重大な時期に、例えばこの伝記の初めに書いた一九〇九年の哲学的論争の時期に於て、或は一九一七年の十月革命の時代におけるブルジョア・インテリゲンツィアの評価に際して、ボルシェヴィキの見解と一致し得なかったことの遠い根源となっているのである。
 読書にも討論にもゴーリキイは魅力を失った。「非凡、善、不屈、美と名づけられるべきすべての小さな、珍らしい細片」をじかに人々のうちからあつめたい欲望に刺戟されて、再び放浪の旅に出た。
 日雇い仕事でパンを稼ぎながら秋までほとんどロシアの南半分を歩きまわり、最後にチフリス(グルジアの首府)スターリンの故郷に落着いて鉄道工場に入った。処女作「マカ
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