ゴーリキイの疑問と本能的な苦悩はかえって深まった。ニージュニイのこれらの連中のある者はマルクス主義に近づくや否や個人主義的毒素や利己主義や偸安で勝手にマルクスの理論をゆがめ、多くの者は唾棄すべき卑俗な「唯物論者」になり下った。彼らは一人一人の革命家が生死を賭してツァーリズムとたたかった前時代の運動の方法を嘲笑し、もし歴史的な必然性というものがあるというのが本当ならば、物事は俺たち抜きでも何とかなる! と、口笛を吹き出したのである。
 ゴーリキイはそういう口笛に合わせる笛をもって生れて来ていなかった。当時ロシアにはびこった機械主義的マルクス主義の理解によって、真理に近づこうとする正当な努力の方向をそらされたのはもちろんゴーリキイ一人でなく、例えば当時ニージュニイで急進的文化活動の中心をなしていた作家コロレンコはそのゆがめられた機械的見解に納得できないままに「唯物論」そのものまでを一種の流行的思想という風に見た。コロレンコは「人生は無数の妙にからんだゆがんだもので合わさっていて」、「それを理論的組立ての四角い中にはめこむことは困難である」と話し、ゴーリキイもそれはそう考えた。二人とも、コロ
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