ヴェト第一の自動車製作所を持つようになったことを知った時、私は、ゴーリキイがどんなに今昔の感に打たれたであろうかと思った。

 ピリニャークのような作家は、日本へ来て芸者を見て、日本の社会における芸者というもののおかれているさまざまの経済的・社会的桎梏を一つも洞察しなかった。芸者というものを、全婦人があこがれている文化の美しい化身であるかのように書いた。こういう婦人の観かたと、ゴーリキイが、私に日本の婦人は出版の自由をもっているかと聞いたそういう具体的な、そして健康な着眼との相違が当時も深く心に刻まれたのであった。その後ある必要からゴーリキイの自伝的な作品を読み、ゴーリキイが婦人というものに対して抱いている態度をトルストイやチェホフのそれとくらべて独特な社会的価値を含んでいることを感じている。度々述べられている通り、ゴーリキイの幼年・少年・青年時代は恐ろしい汚辱との闘争に過ぎた。ゴーリキイの母親ワルワーラは、堂々とした美人であったらしい。夫の死後小さいゴーリキイと祖父の家に暮すようになってからは、どちらかというと自分の感情の流れに流されて暮し、ゴーリキイとは離れて生活を営む時の方が多か
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