ったらしい。若くて悲惨なその最期を終るまでには、とるところもない性質の男と夫婦になり、ゴーリキイはその継父に堪えられないような侮蔑も受けた。「幼年時代」の中にこの母の、美しくて強いがまとまりのなかった一生の印象が如実に描かれている。野蛮と暗黒と慾心の闘争との煮えたぎっているような祖父の家の生活の中で自分をたいして構ってくれなかった母、子供である自分を忘れたように男と家を出てゆく母、そういう母をゴーリキイは描いているのだが、その筆致の清潔さ、怨恨のなさ、毒のなさというものは心ある読者を驚かせずにはいないと思う。ゴーリキイは、ある境遇におかれた不幸な一人の女として自分の母をも描いているのであって、決して子から見た母、子に対して負うべき責任を持っているものとしての母、しかもその責任を充分自覚もしなければ果たしもしないで、生活の荒々しい奔流に巻きこまれて行った母に対して、払われない勘定書をさしつける息子からとしては書いていない。チェホフが、ゴーリキイの最大価値としてほめた「あるがままに人間を見る力」がこの場合にも母親の女としての現実を理解させたのだと思う。しかし、ただそれだけであろうか。私は一
前へ
次へ
全21ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング