、その精神力に於て最も若々しい新世界建設者の一人として自身を世界に示したことは、よろこばしくわれわれの記憶に刻まれている。一九二八年の秋、私はモスクワからヴォルガ河を下って南ロシアへ旅行した。夏ゴーリキイに会っているので、彼の生れ、そして育ったニージュニ・ノヴゴロドの街や、ヴォルガと流れ合っているオカ河の長い木橋、その時分でもまだアンペラ草鞋を履いて群れている船人足の姿、波止場近くの小さい教会が、丸い赤い屋根をそのまま魚市場に使われていて、重々しく肩幅の広いヴォルガの労働者が下手なペンキの字で「サカナ」と書いた板を打ちつけた教会の入口を出入りする光景を、如何にもソヴェト的な一つの絵画として私は見た。このニージュニの街は、今日、ゴーリキイ市と呼ばれている。そしてちょうど私の行った時最終日であった有名なニージュニの定期市――ゴーリキイが十代の時分この定期市の芝居で馬の脚をやったということのある定期市も、その一九二八年が最後で閉鎖された。ペルシャやカスピ海沿岸との通商関係は進歩して古風な酔どれだらけの定期市の必要がなくなったのである。ニージュニが、その後すぐ始まった第一次五ヵ年計画によってソ
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