持っているかということを聞いた。私は持っていると答え、何故それを訊いたかと聞き返したら、ゴーリキイは、ムソリーニはイタリーの婦人に出版の自由を与えていない。若し女の人が本を出したければ父親なり夫なり、法律上の保護者の許可がなければならないことになっていると話した。そして「彼女らは、そんな生活をしている」と、三言で結んだ。話しているとそういう短い、全く民衆的な言葉をゴーリキイが非常にたくみに、表情的に使うのに驚ろかされた。例えば、ピリニャークをどう思うかと私がたずねた時、ゴーリキイは一寸肩をそびやかすようにしてたった二言、「ふうむ。あれか。」という意味のことを云った。その二言三言が無限の含蓄をもって対象を射通しているように感じられ、私はロシア語の表現力と、それを非常に生粋に生かして使うゴーリキイの、作家としての特質を今日も鮮やかに印象されている。私がゴーリキイと会ったのはその時一ぺんであった。ゴーリキイは間もなくイタリーへ戻り、一九三二年に再びソヴェトへ帰った時には彼は全くロシアで生涯を終る決心をもって帰り、世界的に祝われた文学生活四十年の祝祭を機会にゴーリキイは六十四歳の老齢にも拘らず
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