か私より前に訪ねて来た者と話しながら食べた残りであろうか。ゴーリキイのように全大衆から歓迎をされている客の前からも、一片の白パンのトーストの残りをそこに残していることは如何にもその頃の生活の気分を現している。すぐ隣りの部屋に通じるドアが開いてゴーリキイが息子と連れだって出て来た。実に背が高い。広い肩幅である。薄ねずみの柔かいシャツを着て同じような色の上衣を軽く着ている。彼は大きいさっぱりと温い手で私の手をとり、そこの椅子にかけさせた。写真で馴じみの深い髯、灰色がかって大変に集中的な表情をもった眼、額の二本の横皺、それらは少し、しわがれたような、しかし充分抑揚のある深い声と共に今私の前にある。私はゴーリキイの総体を、日向でかすかに香ばしい匂いを放っている年老いた樅の木のようだと感じた。
私たちは少しずつソヴェト文壇の話や、日本の文学のこと、ピリニャークの書いた日本印象記についての不満足な感想等を下手なロシア語で話した。ゴーリキイは真面目な注意を傾けて云うことを聞き、フム、フムといい、短く分りやすい云い廻しで自分の意見を示したりした。日本の話のついでに、ゴーリキイは、日本の婦人が出版権を
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