イに写真を撮ってやろうという程彼を愛する者はおそらく一人もなかったであろう。彼の光りの根源のような影響をもっていた祖母は、その時分もう零落して若い時分のような乞食の生活をやっていた。写真という文化の一つの形も流れ込んでいない社会層の中に生長したゴーリキイを強く感じたのであった。
これらの展覧会その他に刺戟を受けたばかりでなく、ゴーリキイにだけは会いたい心持がした。尊敬すべき作家、そしてその作品を愛読している作家としてはロマン・ローランがある。けれどもこの人とゴーリキイとの間には本能的に区別が感じられた。ロマン・ローランは、どこか、会う人間を窮屈にさせるところが直感される。よい意味にでも、或る窮屈さを予想される。けれどもゴーリキイは、人を自然にくつろがせそして真実にさせる力を天性そなえているように思われ、一九二八年の初夏レーニングラードで同じヨーロッパ・ホテルに泊り合わせた時、私は一度このたのもしげな芸術の先輩の風貌に接したいと思った。
晴れた穏やかな朝であった。案内された室は空で、大きな窓から朝日がさし込んでいる。テーブルがあって、上に冷えたトーストが一片皿にのって置かれている。誰
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