いる。トルストイ夫人が所謂トルストイアンのいかがわしい連中にとり囲まれている夫に向って「私はこういうトルストイアンがたまりません。こういうトルストイアンを私は心からいとわしく思っています。」と、現にそのトルストイアン連中が聞いている前ではっきりと云うトルストイ夫人を、ゴーリキイは夫のトルストイが理解し得なかった現実性で理解し、夫人の意見を正当と認めているのである。ゴーリキイは六十八年の生涯に多くの作品を生んだが、トルストイやツルゲーネフ、チェホフ等のように、ある一人、或は二人の女を中心に、男女のいきさつだけを中心にした作品というものを書いていない。これは大衆の生活の中から生れ立って来たこの作家のいかにも勤労者らしい特徴の一つである。
 チェホフは医者であった。女が男に与えるさまざまの価値ある影響をも認めたが、彼は主としてそれを感性的な面に於て見た。知性の上でチェホフは女の「可愛い愚かさ」というものを一つのあきらめとして、何れかといえば固定的に認めていた。ツルゲーネフが西欧主義者として、いささか皮相的なフェミニストとして女性を文学化し、チェホフにその婦人たちがこしらえものであることを批判
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