客観的な冷静さの源泉であった。大勢の女ばかり多い貴族的で有閑的な、つまり気力の乏しい家族にとりかこまれ、一見賑やかそうで実は孤独であったマリアは、よろこびも悲しみも、すべてを日記の中に吐露し、それを正確に吐露することで、一歩一歩と進み出て行っている。すっかり体が悪くなった一八八四年の五月一日に、マリアは五ヵ月後に自分の命が終るとは知らないながらも、いちじるしく肉体の衰弱を感じてこの日記に「序」を書いた。
「あざむいたり気どったりして何になろう? ほんとうに、私はどんなにしてもこの世の中に生きていたい[#「生きていたい」に傍点]という、望みではないまでも、欲望をもっていることは明らかである。もし早死をしなかったら私は大芸術家として生きたい。しかし、もし早死をしたらば私のこの日記を発表してほしい。」「もしこの書が正確な[#「正確な」に傍点]、絶対な[#「絶対な」に傍点]、厳正な[#「厳正な」に傍点]真実でないならば、存在価値はない。私はいつもただ私の考えているだけのことをいうのみではなく、またあるいは私を滑稽に見せるかもしれず私の不利益となるかもしれぬことをかくそうと思ったことはなかった。
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