じて、ある意味で急速に社会化されて行く過程は実に深い教訓をもっている。マリアは本気で当時の社会における女の位置を怒っている。当時のフランスでは身分のある若い女はアトリエさえ独りでは行けなかった。ルウヴル美術館へ絵を研究にゆくにさえ、「いつも人に附添われて、馬車を待ち、家族その他を待たねばならない。」「なぜ婦人画家が少ないかという理由の一つもこれである。おお、残酷な習俗よ!」マリアは決然として書いている。「私は自分を束縛するあらゆる不利益を排して何物かになった一人の女のあることを、社会に知らせる一例を示したいと思っている。」
 激しく出るようになった咳と聾になる恐怖との間で、二十歳のマリアはサロンへはじめてコンスタンシ・ルスという名で出品をし、合格した。この時のサロンにバスチャン・ルパアジュの有名な「ジャンヌ・ダルク」が出品され、マリアに甚大な感動を与えた。
 サロンに入選しても、マリアはますます自分の画の不満を自覚してきびしく自分を鞭撻しているのに、家族の者がマリアの体を気づかう姑息な女々しい心遣いはマリアを立腹させるばかりである。マリアの耳では目醒時計の刻む音がきこえなくなった。過去
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