四年の間、喉頭炎と思わされて来たものが肺であることも分った。医者は転地をすすめる。だが「家族と一緒に、彼らのこまごましたわずらわしさを背負って旅行したところで愉快ではない。」マリアはアトリエの隙間風を防ぐために修道僧のようなずきんつきの大外套をこしらえさせた。それを着て、やはり猛烈に仕事をしつづける。「私は近頃自分のことを話したり書いたりする時に泣き出さないではいられなくなった。」「人生は結局外観はどうあろうとも哀れである。」「それでも私は自分を投げ出すことができない! して見ると生は一つの力でなければならない。何物かでなければならぬ。私たちには永久というものがないから、人生は何物でもないという人がある。ああ! 愚かなることだ! 人生は私たち自らである。それは私たちのものである。それは私たちの所有するすべてである。それにどうして人生が何ものでもないということができるか! もし人生が何物でもないならば、何物[#「何物」に傍点]かであるものを見せて下だい。」
一八八一年のサロンにもマリアは出品したが、これは苦しい年であった。画家としてのマリアの境地は次の年へかけて非常に深まった。芸術が創
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