、人間の浅間しさを思わせられる一つの現状でございます。
 考えて御覧遊ばせ C先生。
 此処に一組の夫婦がございます。
 彼は忠実に彼女を扶養し、朝から晩まで働いて、自分の愛するものの為に努力致します。が、妻の方は、只自分が一生一つ顔ばかり見て居なければならないと云う厭怠から、他に情人を作ります。もう彼女にとって、忠実なる働き手の良人は何の魅力も持って居りません。重荷でございます。早く振りはなしてしまいたい、けれども、若し自分がこのまま単純に左様ならを告げたのでは損になる。真個に彼女は字通り損になると思うのでございます。
 其だから、何か良人の欠点を掴って、其を訴訟の材料として扶助料を取った方がよいと思う。其処で、彼女は嘗ては愛情を表現するのに、どうしたらよいだろうと思いなやんだ同じ胸で、今度は、どうしたら、彼を怒らせ、自分に手をあげさせ、その挙げたままの手を捕えて、法廷に出られるだろうと工夫するのでございます。
 哀れむべき良人は、正直に彼女を愛すが故に正直に怒りますでしょう。
 真心から彼女を抱擁するが故に、真心から彼女を打つかもしれません。そして、心は悲しみに満ちながら、彼女のかねて予想した結果にまで事を運んでしまうのでございます。
 斯ういう事情があっても、良人が自分を虐待するという為に訴訟し弁護され、勝訴するのは、公正な事でございましょうか?
 C先生
 私は、人間の魂に余り「知」の不足する事を涙とともに悲しまずには居られないのでございます。
 此の事件をよく考えて見ますれば、此は単に、そう云う悲しむべき目に会った良人が可哀そうだと云う事丈ではすまされません。
 良人が哀であると同様に、彼女も哀れむべき魂の所有者ではございますまいか。
 愛を失った事で或程度の苦味を嘗めた心は、人を計ろうとする奸策で汚され、其に成就した誇りで穢されなければならないのでございます。
 其に比べれば、良人の受けた結果は、そういう性質を知らずに結婚した不明と、その策略を感じなかった事を賢くないとしても尚、この真の意味に於ける破産は、比較にならない程潔いものではございますまいか?
 私は、食べられなければガツガツし、自由に食べられれば、食傷して死ぬ人間の惨めさを思わずには居られません。
 単に此の場合のみではないのでございますから――。
 人間は種々な方面に此の貪慾さを持って居るのではございますまいか。
 軍備の完備した国家は、自国を防禦する筈のその軍力を以て祖国を失ってしまいます。
 物質の豊かな国民は、その豊かな物質に首を絞められます。
 斯様にして、権利を所有するが為に却って、魂を汚す彼女等は、同時に又その豊かな――そして其を反面から見れば非常に緊張した物質に地獄までも追いかけられて居るのでございます。
 彼女等が、私共日本婦人には欠乏して居る経済思想に富んで居ると云う事は尊敬すべき事でございます。けれども、その使用すべき物質に使用される事は恥辱ではございますまいか?
 彼女等は又彼等は、恐ろしい程の実際家でございます。如何程美くしいものでも、其が彼女にとって、何等かの実際的効用を与えなければ、其は只彼女等特有の、形容詞たっぷりの讚辞を呈された許りで通り過ぎられてしまいますでしょう。
 だから、買物を仕ようとしても、決して只珍らしいとか美くしいとか云う丈ではなかなか買いません。いくらでも褒められる丈褒めちぎりますでしょう。そして店番の男を有頂天に致しますでしょう。が、其丈でございます。彼女等は決して、褒むべきものと買うべきものとを混同しない丈の確っかりさを持って居るのでございます。其故、芝居にしても其が娯楽である以上は心を楽しませ、小説がたのしみの読書である以上愉快なものであるべきだという考さえございます。其故、内容を深く知らない人達はこちらの職業婦人と申しましても、概して工場事務所、商店等に働く婦人が、外面的の労働時間と衛生規則は完全であっても、その物質慾に刺戟されて如何に惨憺たる生活を営んで居るかと云うことも御分りになりますでしょう。流行の着物を着、華奢な靴にくるくると町を歩く若い女達の眼を御覧遊ばせ、神は其処で無限の悲痛に涙ぐんで居ります。
 C先生
 斯うやって書いて来て、たまった頁数を調べて見ましたら、もう随分沢山になって居ります。
 書いて行くにつれて、種々の事が思い出されて、限りがないようになります。がもう止めに致しましょう。余り長くなって、御あきに、なるといけないと存じます。
 最後に、かなり突込んだ彼女等への一つの弁護として、アメリカの女は概して、落付きがない、軽薄であると云う批評に対して一言を書添えたいと存じます。
 私がこちらへ参りましてからも、そういう感じはかなり強く印象された一つでございます。だから、概して申せば、若い人達は、如何にも可愛いが好きではないということになります。
 実際、所謂女仲間に入って見ますと、私などは、かなり出しゃ張りの方でも、その絶え間ない早口と、戯談と寸刻もじっとして居ない態度とは、神経を気の毒なほど疲らせてくれます。
 女の人の寄宿舎などは、まるで、今海から上げた大漁の網そのままの活々しさでございます。踊るもの、かけるもの、キーキー云ってふざけるもの、声高に座談をなげ合うもの、命が躍って、躍って、止途もないというようなのが女の人、ことに若い人の通用性でございます。絶えず興奮して居ります。
 静かにしんみりと話すことは少くても、笑うか、喋るか、歌うか、動くか致します。
 其は勿論活動的であり、積極的であるからでもございましょう。がその一つの原因は、絶間ない刺戟に彼女等の神経が追い立てられて居るのでございます。
 うなりを立てて廻転する大都会の車輪の一端に、辛くも止まって居る微細な神経は、過度な刺激で或程度にすりへらされて居ります。
 そのすりへらされた神経に与える変化は、どうしても濃厚なものでなければなりません。生活に疲れた頭は決して、低声の雑談ではいやされません。
 目のさめるような事がなければ息がつけません。
 従って彼女等は、濃い色と、強い音調と香気と、強い興奮で、轟々と鳴りとどろく、大都会の騒音に辛くも反抗するのでございます。
 其故同じアメリカでも、場所によっては、決して騒がしい女性許りではございません。
 しっとりと、草の葉のさざめきに耳を傾ける人もございます。
 私は、彼女等が圏境から与えられた騒躁な、騒躁でなければ居られない神経と云うものに、人間はもっと深い同情と思慮とを費やすべきだと存じます。
 何故なら、此は、只彼女がそうなったと云うのみに止らず、そう云う圏境は、従ってそう云う文明は、正しいものか、正しくないものかと云う大きな問題に逢着すべきだからでございます。
 又気焔を上げそうになります。真個にもう此は此処までに致しましょう。
 御ゆっくり御やすみ遊ばせ。
 静かに更けて行く湖面には、小さい螢が飛んで、遠い沼に、かえるが長閑《のどか》に喉をころがして居ります。
[#地から2字上げ]六月十七日

       雑信(第二)

        (其一)

 C先生。
 雑信第一に於て、私は自分の仕事に対する近頃の心持を御伝え致しました。従って抽象的であり、且つ独り合点の事があって、叙述が充分ではなかったかも知れません。然し、あれはあの儘で是非御目にかける必要がございます。言葉に表現する事は非常に困難なほど、私の心に喰い込んで起った現象なのでございますから。私は先生が、あの心持をよく御感じ下されば其でよろしいと思って居ります。此の雑信第二に於て、私は一人の女性として、此国の又我が故国の女性に就て近頃考え感じて居る事を書き度いと存じます。女性に就てとは申しながら、人類としての女性に厳粛に対する場合、女性に関しての考察と批判とは勿論男性の生活に直接な関係を有して居るものでございます。従って結果に於ては、人に就てと申すと殆ど同様の事に成りますでしょう。
 其から第三。に於ては、私の今居ります田舎の事を少し書きます。そして一先ず、私の先生並よき友に送る雑信は終りになります。紐育へ帰ってから仕度いと思う仕事は何等かの結果を齎しますでしょうが、其を此次は何時お目に掛けられるやら、まだ未定なのでございます。
 C先生
 私は今此から深々と、此国の女性と、其の観察者の態度と申す事を考えて見度いと存じます。
 批評や紹介等と申しますものは、観察者の態度如何に依って非常に影響を与えられるものではございますまいか。態度と申すのも、心の置き方でございます。一体婦人問題のみならず他の総ての思想は、近頃非常に米国の影響の許に居ります。そう云う場合、人は、冥々の裡に与えられる暗示に導かれて、兎もすると無批判な雷同に堕して仕舞います。群衆の不思議な催眠術が幅を利かせます。そして、つい半年許り前は、地球の何処の隅に其那字が在るかと云うように無智であった者まで、流行の標言を振りかざして、目的のない突進を企てるような事に成って仕舞います。其故、欧州の戦乱後、世界の呪文のようになった米国の女性に就て物を考える場合にも、私は其等の乱酔的の興奮にはかられたくないと存じます。無批判で外界の刺戟に左右される事は恐ろしい事でございます。人が自分を殺すような事になります。
 良いも悪いも米国仕込みは厭でございます。米国の持って居る不思議な、特殊な浅薄さをまで無条件に移植するのは、単に趣味の上から申した丈でも否なりと存じます。今世界と云うと、米国が中心で廻転して居るような感が無いでもございません。けれども、米国人も人間ではございませんか、人性の錯綜に就て、人は静かな考慮と洞察と、同情とがなければなりません。人間の持つ尊厳と光彩と天才とは彼等の上に燦然と輝きますでしょう。然し又他の一方には、其等の悠久な軛であるあらゆる「あるべきもの」の消極も存在して居ります。此の二方面の力の消長に、人は聰明でなければなりません。一面から申せば、彼女等の苦しむ事と、私共の苦しむ事とは同じでございます。そして総ての人間が苦痛と思う事なのだと云う事になるのでございます。
 斯様に書きながらも思う事でございますが、他国人が他国人を批評する時、兎角陥り易い欠点は、或人間の群が、或特定の圏境の裡に発達したもの、と云う心持で批評の対象国民を見ずに、その人間達の持つ国名の響で、批判的気分の大半を埋めて仕舞う事だと存じます。
 箇人と国家とは離れ得ないものでございます。
 然し、「米国人」と申す天[#「す天」に「ママ」の注記]外人の存在ではないのでございます。彼等の構成した国家の、地理的国境と、政治的体系と、彼等の始祖からの気質《テムペラメント》の傾向に種々の変遷を経つつ今日に至った一群の人間なのでございます。名は約束でございます。日本人と云う総称が、其の裡に無数の箇性的差異を包含して居る通り、人類と云う響は又其の内に、箇々の民族的差異をも暗示して居ります。
 其故私は、国民的名称の差異に意識無意識に左右された批評は好みません。私は米国人とその名を以て、その約束的符牒で彼等を呼ばなければなりませんけれども、其に対する心持は、地上の人類の一群に起った現象として無我に面して行きたいと存じます。人類の生活、文明史に現われる総ての事件は、その心持で接せられるべきではないのでございましょうか。殺す人間も殺される人間も、等しく人間と云う点に於て切れない血族でございます。世界的悲劇の発生も、その血腥い過程とよりよき芽を育てようとする結果とを通して、一つの重大な、沈思すべき「現象」に対する平静と公正とを以て向われとうございます。
 地上に起る総ての事に、よき魂は無関心であってはなりません。無智であってはなりません。流転して止む事ない心の微妙な投影は、其を洞察しつつ、理解しつつ愛に満ちて統御する叡智の高度に準じて価値つけられますでしょう。認識の拡張は人類に冠を授けます。
 然し認識の内容は多くの未知を、或は未完成の存在をも、今日の私共の裡に承認する筈なのでご
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