若し私共が持つ事が出来れば、私共は真個に人格者として自由になれます。人格者として保有すべき権能に対して尊敬すべき其の主権者となり得ますでしょう。私は米国の女性が人類の一員として享有する権能の論理的価値を認め、将来によき魂に偉大な光彩を与え得る可能のより多くより確実である事を認めずには居られません。然し、現今の一般が其等権能に対して居る態度は私に満足を与えません。皆道程にのみ即して居ります。或は徒の形骸にのみ虚勢を張って居ります。
其故、私は未だ米国婦人の獲得した権能を所有しない日本の女性は、其の権能を要求し、獲得し、運用する場合に、より純一で、より高い動機で総ての行為が支配される事を希うのでございます。
C先生、今もう少しで私は可成予定より長くなった。雑信第二を終ろうと致して居ります。
此の裡へ、私は兼てから思って居た種々の事を書き込んで仕舞いました。普通、米国の婦人の評される場合に使われる、活気があるとか、愛嬌があるとか申す事は、私は書きませんでした。其等は末端の些事だと存じます。生活の真実の価値は、只快活さと、活動的と云う文字で計られるものではないと存じます。私はいずれに仕ても、生活の根本から洗練された純化されたいのでございます。常套、常套、而して常套と幾重にも重なった裡から、何にも染まらない「そのもの」を見出しとうございます。けれども、C先生、私がよく申上た通り私は自分で、渾一の如何に偉大であり、又如何に至難な事であるかを知って居ります。知って居る事は愛でございます。
私の米国婦人が権能を持つ事、その事には肯定出来ても、其の運用の不純さに飽き足らず思うのは、此の純一の燃焼への憧憬があるからでございます。
私が若し仏蘭西《フランス》へ行ったと致しましたなら、拉丁《ラテン》民族の優雅な、理智と感情との調和に必ず心の躍る歓びを感じますでしょう。然し、私は矢張り其裡の不純を感じて、「けれども」と云う何物かを発見せずには居られませんでしょう。
何処にでも、人間の存在する限りの地上に、此のよかるべきもの、裡に含まれた其の否定があるのでございます。そして其丈の否定が私の心に意識される以上、私自身の裡に、如何程明瞭に、恐ろしい程明瞭に照り返して居るかと申す事は御分りになりますでしょう、皆の努力でございます。各自の心が、真剣に鞭撻し沈思すべき一生の問題でございます。
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