章ふためいて、喚きながら馳けずり廻らないでも好いのではございますまいか。
矢鱈に興奮許りしても、人間の魂が浄められるものでもございますまい。
人間を創る者は人間でございます。創った人間を量る者も亦、人間でございます。
心が、真実に豊かでありとうございます。その悠久な真実さが落付いて人間の種々相を観て慾しゅうございます。
――○――
人が、物を観る時に、唯一不二な心に成って、その対象に対すると云う事は大切でございましょう。けれども此は、没我と申せましょうか。元より無我と云う字の解釈にも依りますが、字書通り、我見なきこと、我意なきこと、我を忘れて事をなすと致しましても、結局「我」と云うものを無いと認める事は出来ませんでしょう。
私心ないと云う事、我見のないと云う事は、自分の持って居る或る箇性、人間性を、絶大なフ遍性と同一させた境地でございましょう。「我」と云う小さい境を蹴破って一層膨張した我ではございますまいか。その境で、人はもう、小さい「俺」や「私」やにはなやまされては居ません。けれども、天神の眼を透す、総ての現象は、天地を蓋う我から洩れる事はございません。地を這う蟻の喜悦から、星の壊《ついえ》る悲哀まで、無涯の我に反映して無始無終の彼方に還るのではございますまいか。
同じ、「我」と云う一音を持ちながら、その一字のうちに見る差が在る事でございましょう。考えて見ると冷汗が出ます。けれども、冷汗を掻くからと云って、凝とすくんで居るべきではございません。持って居るものは育てなければなりません。下らない反動や、反抗やらで、尊い「我」に冒涜を加えず、自分の周囲に渦巻いて居る事象に迷わされず、如何程僅かでも純粋に近い我を保って、見、聴、生きるべきではございますまいか。
C先生。私斯様な前提を置いてから、少し許り、私がこちらへ来てから「私」の感じた事を書いて行こうとして居ります。
可成種々あるような気も致します、が、先ず同性と云う点から、こちらの婦人に就いて私の思ったままを述べさせて戴きましょう。
厨川白村氏によって「女王」の尊称をたてまつられ、又この名にふさわしい権力を以て生きて居るこちらの婦人は、私の眼に意味深いものとうつりました。
C先生、総て事物を客観的な立場から見て、物を考えますれば、婦人の常識が豊かな方が、貧弱な頭脳の所有者である
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