有難さ、其は只、彼等の仲間である人間のみが知る事を得ます。
 頭を下げても下げても、下げ切れない程、あらたかな人の裡には、憎んでも憎み切れない或物が倶に生きて居ります。
 苦笑するような心持は、十や十一の子供には分らない心持ではございますまいか。
 丁度、雨にそぼぬれた獣物が、一つところにじっと団り合って、お互の毛の臭い、水蒸気に混って漂う息の臭いを嗅ぎ合うような親密さ、その直接な――種々な虚飾や、浅薄な仮面をかなぐり捨てて、持って生れた顔と顔とで向い合う心持は、私の今まで知らなかった、其れで居て知らなければならない事だったのでございます。
 私は、アメリカへ来たから斯う成れたのではございません。場所の何処に拠らず、私を総ての掩護から露出させた圏境に依ります。
 嘗て知らない苦労にも会いましょうし、光栄も感じます。その種々相を透して、さながら、プリズムの転廻を見るように、種々雑多な人間性が現われて参ります。
 その一色をも逃すまいとして、私はどんなに緊張して居りますでしょう。目前に現われて居るのは、本の上に印刷された理論的な文字ではございません。生きて、光線の微分子とともに動いて居ります。だから、一寸でもじっとしては居りません。今出たかと思うともう消えます、同じ物が再現したかと思っても、其の微妙な色彩の何処にか、必ず変化が来て居ります。其が、完く、泣虫寺のおしょうの見たように踊り廻り、とっ組み合い、千変万化の姿態で私の前に現れます。
 その一つ一つに、何か不具なところが在るように思われます。この不具は、存在の全部を否定するものではございませんが、兎に角、何か不具なところがある。そして、時々其が激しく油を切らして軋み合います。
 その恐ろしい騒音は、地上の何処へ行っても聴えるものではございますまいか。
 其と同時に、此の騒音の最中から、何等の諧調を求めて、微かながら認め得た一筋の音律を、急がずうまず辿って行く、僅かながら、高く澄んだ金属性の調音も亦、天の果から果へと伝って参ります。
 日本にも馬鹿は居ります。アメリカにも大馬鹿が居ります。
 粛《おごそ》かに心を潜めて思う真心の価値は、其を表現する言葉の差で違うべきものではございますまい。
 誰も、我が国、我国と怒鳴りながら、大汗を掻いて騒ぎ立てないでも好ろしゅうございましょう。又誰も、「彼国」彼の国と指差しながら、周
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