ました。従って抽象的であり、且つ独り合点の事があって、叙述が充分ではなかったかも知れません。然し、あれはあの儘で是非御目にかける必要がございます。言葉に表現する事は非常に困難なほど、私の心に喰い込んで起った現象なのでございますから。私は先生が、あの心持をよく御感じ下されば其でよろしいと思って居ります。此の雑信第二に於て、私は一人の女性として、此国の又我が故国の女性に就て近頃考え感じて居る事を書き度いと存じます。女性に就てとは申しながら、人類としての女性に厳粛に対する場合、女性に関しての考察と批判とは勿論男性の生活に直接な関係を有して居るものでございます。従って結果に於ては、人に就てと申すと殆ど同様の事に成りますでしょう。
其から第三。に於ては、私の今居ります田舎の事を少し書きます。そして一先ず、私の先生並よき友に送る雑信は終りになります。紐育へ帰ってから仕度いと思う仕事は何等かの結果を齎しますでしょうが、其を此次は何時お目に掛けられるやら、まだ未定なのでございます。
C先生
私は今此から深々と、此国の女性と、其の観察者の態度と申す事を考えて見度いと存じます。
批評や紹介等と申しますものは、観察者の態度如何に依って非常に影響を与えられるものではございますまいか。態度と申すのも、心の置き方でございます。一体婦人問題のみならず他の総ての思想は、近頃非常に米国の影響の許に居ります。そう云う場合、人は、冥々の裡に与えられる暗示に導かれて、兎もすると無批判な雷同に堕して仕舞います。群衆の不思議な催眠術が幅を利かせます。そして、つい半年許り前は、地球の何処の隅に其那字が在るかと云うように無智であった者まで、流行の標言を振りかざして、目的のない突進を企てるような事に成って仕舞います。其故、欧州の戦乱後、世界の呪文のようになった米国の女性に就て物を考える場合にも、私は其等の乱酔的の興奮にはかられたくないと存じます。無批判で外界の刺戟に左右される事は恐ろしい事でございます。人が自分を殺すような事になります。
良いも悪いも米国仕込みは厭でございます。米国の持って居る不思議な、特殊な浅薄さをまで無条件に移植するのは、単に趣味の上から申した丈でも否なりと存じます。今世界と云うと、米国が中心で廻転して居るような感が無いでもございません。けれども、米国人も人間ではございませんか、人性の
前へ
次へ
全32ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング