錯綜に就て、人は静かな考慮と洞察と、同情とがなければなりません。人間の持つ尊厳と光彩と天才とは彼等の上に燦然と輝きますでしょう。然し又他の一方には、其等の悠久な軛であるあらゆる「あるべきもの」の消極も存在して居ります。此の二方面の力の消長に、人は聰明でなければなりません。一面から申せば、彼女等の苦しむ事と、私共の苦しむ事とは同じでございます。そして総ての人間が苦痛と思う事なのだと云う事になるのでございます。
斯様に書きながらも思う事でございますが、他国人が他国人を批評する時、兎角陥り易い欠点は、或人間の群が、或特定の圏境の裡に発達したもの、と云う心持で批評の対象国民を見ずに、その人間達の持つ国名の響で、批判的気分の大半を埋めて仕舞う事だと存じます。
箇人と国家とは離れ得ないものでございます。
然し、「米国人」と申す天[#「す天」に「ママ」の注記]外人の存在ではないのでございます。彼等の構成した国家の、地理的国境と、政治的体系と、彼等の始祖からの気質《テムペラメント》の傾向に種々の変遷を経つつ今日に至った一群の人間なのでございます。名は約束でございます。日本人と云う総称が、其の裡に無数の箇性的差異を包含して居る通り、人類と云う響は又其の内に、箇々の民族的差異をも暗示して居ります。
其故私は、国民的名称の差異に意識無意識に左右された批評は好みません。私は米国人とその名を以て、その約束的符牒で彼等を呼ばなければなりませんけれども、其に対する心持は、地上の人類の一群に起った現象として無我に面して行きたいと存じます。人類の生活、文明史に現われる総ての事件は、その心持で接せられるべきではないのでございましょうか。殺す人間も殺される人間も、等しく人間と云う点に於て切れない血族でございます。世界的悲劇の発生も、その血腥い過程とよりよき芽を育てようとする結果とを通して、一つの重大な、沈思すべき「現象」に対する平静と公正とを以て向われとうございます。
地上に起る総ての事に、よき魂は無関心であってはなりません。無智であってはなりません。流転して止む事ない心の微妙な投影は、其を洞察しつつ、理解しつつ愛に満ちて統御する叡智の高度に準じて価値つけられますでしょう。認識の拡張は人類に冠を授けます。
然し認識の内容は多くの未知を、或は未完成の存在をも、今日の私共の裡に承認する筈なのでご
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