てゆくとき、ワシリェフスカヤは、過去の文学における文学的な省略法、テーマの進展のモメントとなる各細部を、印象的に整理してゆく方法だけに頼らず、もっと深く本質にふれて、占領地域におけるナチス軍の窮極における敗退の生活的・心理的な理由を、政治的にしっかり把握した上で、政治的機動性とでもいうようなダイナミックな力で、描こうとする対象を取捨し、必要によって、ぐっとつき迫っている。しかも、実に興味あることは、二十年前のソヴェト文学のように、作者の政治的な理解力というものが、生のままそこに示されるような幼稚な段階は見事に克服されてしまっていることである。その作品の中に生き、泣き、雪の中を這って殺された子供の死骸を我が家に引摺って来る母親の、肉体そのものの温かさ、重量、足音の裡に、彼女たちの心もちそのものとして、彼女らがそうして生きとおした苦難の意義が暗示されているのである。
 局面の展開の動的なこと、それを、ゆっくりと大きく移してゆく作者の力量は、近代感覚に満ちていて、「静かなドン」の調子と全く違う。浅く見れば、映画の技法の影響とも云えそうだけれども、もう一歩近づいてみれば、それは都会的なテムポの
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