感覚から来たモンタージュの力量に止る性質のものでないことは明かである。
 イリーンが、科学の知識を、ああもわかりやすく、ああもよろこばしく語り得るのは、彼が、専門の知識に通暁しつくしていて、その上に、人類がより明るく智慧の光りに照らされて生きる愉しさを、知りつくしているからではなかろうか。知りつくしたことについて、人はいつも分りやすく、ふっくりと語る。ワンダの作品をよむと、この大戦を経つつ、雪深き一つの国では、人々が社会に生きる感覚において、どんな長足の進歩をとげたかということが窺《うかが》われる。辛苦と血とが、生きているものの実質として、のこりなく摂取されているらしいことを感じるのである。
 この「虹」が、また、ほかの諸作品と同様に、中絶してしまっている。早く完全な訳が出てほしいと思う。そうして、世界の苦しみと歓喜とに触れ自身の苦痛と希望とを等しき人間の進みゆく足どりと眺めたく願うのは、決して私たちばかりではないだろうと思う。[#地付き]〔一九四六年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61
前へ 次へ
全8ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング