たような哲学的な哀愁ではなくて、きわめて現実に人間の善意に対して無反応になったり、嘲笑的になったりすることである。
 どうせこんなものといってしまえば、その人がこの人生に存在する意味さえも失われる。どうせこんなもの、という投げかたは、人生に対する一番傲慢な卑屈さであると思う。
 人は一人一人に複雑な性格や肉体の条件をもっているのだから、どのひとの一生も、不屈であるというわけにゆかず、あらゆる青春が歴史の推進の中軸に立つことはできない。あるとき、心ならずものわかりよさに敗けたとして、私たちはやはり明瞭に自分をごまかさずその敗北を認め、その中での努力をおしまず、善戦をつづけている人々への喝采と励しとその功績を評価するにやぶさかでない精神をもたなければならない。
 今日、ものわかりよさは、そこまでの歴史性に歩み出しているべきではないだろうか。
 女の一応のものわかりよさは、時に醜いことがある。近頃は、情勢の変化につれて、女のひとのなかにもいろいろ役所関係との接触を多くもつひとが出てきている。そういう役人の一人が、ある一夕何人かの指導的な婦人たちを招待して、意見交換ということをした。そのとき一
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