人のひとが、割合ふだんのままの気持で日頃から思っているままの意見を、女の生活の改善という立場から話した。そしたら、その婦人たちのなかでも主だった人と目されている一人が傍の友達に次のようにいったそうだ。あの人は、こんなにして御馳走になっているのに、それに対してああいうことをしゃべるのは失礼だ。気をつけるようにいっておあげなさい、と。わずか一円か二円の食事を御馳走といい、そういう御馳走にあずかった以上、対手のお気にかなうように振舞わなければならないというそのひとのものわかりよさは、何と清潔でないだろう。餌をまかれてそれに支配されて来た男たちの游泳術を、それなりに追随したものわかりよさを、女も社会に出るにつけて身につけてゆくというばかりでは、あまり悲しくはないだろうか。男の世界では同じ餌にしろ大きく、游泳のゴールも華々しいということがあるが、女の場合、御馳走の程度も男仲間のいわゆる饗応とは桁がちがい、そのようにしてゆきつくゴールははたしてどこにあるのだろう。あとには、よごれたものわかりよさだけがそのひとの身と女の歴史とに重ねられてゆくばかりとしたら。
今日では、個人を超脱した何かより高いも
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