ふれてうち開かれれば、その奥には我からおもはゆいばかり咲かんとして期待にみちた花園のあることを知っているのに、仕事もすてたくないという単純な女の希望のために、そんな花園のかくされていることはもとより、ひとなみの程度の女らしささえ欠けているように見られたりすることは、若い女のひとにとって何たるくちおしさだろう。
ものわかりよさの陰翳は、こういう瞬間に女の心にさしこんで来る。私が人生にもとめているのは我ままなのだろうか。そういう謙遜の表現で、忍びこんで来る。人間につまり大切なのは、仕事の上の野心だろうか、つつましい日常の愛だろうか。そのように現実をはなれた観念の上での対比をもとって現れて来る。はたして私にはそれだけの摩擦にたえるだけの、たえてゆくだけの才能があるかしら、そういう否定に立った問いかけもきこえて来る。
これらのさまざまの声々の底には、女というものはしかじか、女の幸福はしかじか、という定型へのものわかりよさ、困難をさけようとするときのおのずからなるものわかりよさが、作用しているのである。
愛すべき若い人生のどの位の部分が、この悲しいものわかりよさをのりこえて自身の成長の歴史
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