として理解する心は持っている。オルゼシュコというポーランドの婦人作家の書いた「寡婦マルタ」をよめば、良人に全生活を庇護されてゆくように、その幸福を飾る花であることを目的としたまとまりないいわゆる淑女の教養きり身につけていない善良で気品ある女が、いったん逆境に陥って燃える母の心から終に馬車のわだちの下で命をおとす悲劇を、自分の妻には絶対にあらせまいとねがうであろう。ちゃんとした職業教育は女にも必要であると思う。
 その気持はそれとして偽りのものではないが、しかしながら、今日わが生活の現実として、仕事をもっている妻を想うと、そこに何か家庭らしさに混りものがはさまったように、何か本当の家庭になりきらないものがあるように思う気分が湧くことも、多くの男のひとたちは否定しまい。
 友達には仕事のある女のひとがよいけれど、妻には困るという感情はかなりいまだに普遍性をもっている。
 たとえどんな仕事にしろ、二十二三歳である社会的な水準まで達することはほとんど不可能であるから、この人生に真摯な心で向っている若い女性たちほど、いわば自分の人生への愛と、異性への愛とに苦しんでいると思う。もしそれが正しい扉に
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