態が一定して、それが相当の永い期間安定していた時代、その社会のなかでは経験が未来への判断に多くのものを意味した。けれども、私たちが生きているこの現代は、世界じゅうが一つの巨大なうごめきをしていて、硝煙の間で歴史が転換しつつある。経験というものはそういう時代になると、静的に解釈されれば何の力もないことになる。何故なら、去年あることがそうであったという事実は、今年同じあることがそうであるということにはなっていないのだから。去年の経験さえ役に立たないものになって来ているとさえいえる。まして、今日に生きる若い娘にとって、母の若かったとき、お祖母さんの若かったとき、それはかくかくであった、ということが、はたしてどれだけ今日を生き明日へ生きようとする生活の支えとなり得るだろう。
 それらが支えとなるだけの力をもっていないということは感じられて、何か自分たちがこれでよいと思えるものを今日のうちから掴んで来たい、それを力に未来の生活への見とおしも立てて計画も立てたい、そう若い女性たちは考えていると思う。
 だが、そういう若く愛らしい人生への熱意に対して、女への現実は何を要求しているだろう。若いひとたち
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