婚、家庭生活の重みに反撥することから、進歩的見解をもつ若い人々が我知らず機械的唯物論に陥ったり、アナーキスティックな放縦へ墜落したりすることの多い現代の分解的・醗酵的雰囲気の中では、このことは特に大切であると思われる。
或る婦人雑誌が、恋愛についての座談会をもち、林芙美子氏、深尾須磨子氏その他が話した。その記事を偶然読んだ。お定[#「定」に傍点]の話が出ている。林芙美子氏は「私はお定のようになりたくてねえ」と云い「みんな体裁をかまっているから駄目なんですよ」と云っている。深尾氏はお定が変態的であると評されている点が決して変態的でないと主張しておられるのであるが、私が膝を叩いて感じいったことは、私はお定のようになりたくってねえと云わしめた言葉の根底には、世間の大部分の男は「お定の対手になって見たかったと云っていますね」という条件に対する反応の意識が伏在しているのであった。どんなに面白く、思い切って恋愛論をするかというようなことが、せち辛い世の中では、身すぎ、世すぎをもふくめて男のひとに対する女それぞれの一種の嬌態、ジャーナリズムへの秋波としてさえ役立てられているのである。
これらの二
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