重、三重の利害によって夥しく氾濫せしめられている恋愛論が、果して大衆の現実問題としての恋愛、結婚生活の困難、障害を取りのぞくためにどれだけの働きをするであろうか。先ず陸軍大臣が保健省設立を提案するという興味ある形で今日とりあげられている青年男女の体格低下の問題や、婦人労働者の退職手当金の問題、又頻々たる心中事件の意味など、恋愛論が、恋愛論の枠の中を廻っていただけでは解決し得ぬ先行的事情が、附随してとりあげられなければ、実際性は稀薄なのである。ひとは「物云わねば腹ふくるる」ものである。まともなことが公然と云えなくなると、話が所謂《いわゆる》おいろけに傾く。徳川末期は、何故あのように色情文学が横行したかということを私共は真面目に考えるべきであると思う。現代の恋愛論が、多分の猥談的要素に浸潤されていること、両者の区別が極めて曖昧になっているところ。そこでは男も女も卑屈にさせられている。日本的事情というものが斯くの如くにして表われているところに、私は、或る憤りを感じるのである。
 杉山平助氏の『婦人公論』における恋愛論は、ジャーナリストとしての技術を傾けて書かれているものであるが、中に短く引用
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング