のだろう、というところにある。
例えば、或る中年を越した左翼的生活経験をもつ一人の男が、過去の家庭生活を更えて、妻子と離れ仕事に於ても共通点のある若い女と同棲生活に入ろうと欲する。その欲望は、男にのこされている生涯がそう永いものではないという見透しや、男一生の思い出にという熱情の爆発やによって甚しく強烈であり、過去の全生活に対して今や負担と退嬰的な要素しか見出せない状態に陥ったとする。人生の或る深刻な危機、モメントとして、それだけのことは諒解されるとして、そのひとが、その主観に立って、進歩的世界観に立脚する新たな恋愛論として、移行論或は清算論めいたものを主張することは、はたして当を得ているであろうか。健康な、十分の社会性をもった発展的恋愛論を求めるならば、そういう困難な現実の個々の場合をも包含しつつ、そのような事情を惹き起すにいたった過去の恋愛、結婚生活の性質の究明、将来に於てその悲しむべき紛糾が減らされるための社会的見とおしが与えられなければなるまいと思う。日本のような特徴的な結婚、家庭生活が行われているところでは、このことは特別に考慮されなければならない点である。封建的な恋愛、結
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング