際聴ける機械は、さし当りどこに在るのかわからない状態が生じているのである。
日本の人々の生活にとって、この一二年の間にラジオの位置は、徹底的に変化した。空襲以来、すべての人は、ラジオが生活の必需品であり、それは米と一緒に守らなければならないものとして理解するようになった。一つは、報道が人々の生命の安全に直接関係したからであるし、他面では、機械がなくて、一度失ったらもう手に入り難いという事情に立っている。部屋を照す電球が買えないのと等しく、ラジオのための真空管は、普通人には買えないものの一つとなっている。
ラジオは文化の享受面に立つものであるけれども、今日では誰の目にもそれが直接日本の生産技術の低さと繋った不自由に縛られていることが明らかとなって来た。何故それほど生産技術が低いのだろうか。そしてまた何故、これほど必需品生産は、企業家たちによって怠業の状態におかれているのだろうか。疑問は、ラジオ一つを通じてさえ今日の生産活動の渋滞の本質を知りたい願いとなって来るのである。
今年は九月下旬から十月初旬にかけて日本西部が深刻な風水害をうけた。山陽本線は一ヵ月も故障したのであった。義弟が原子爆弾の犠牲となったため田舎へ帰ったが、急な帰京が必要となって、呉線の須波―三原の間、姫路の二つ三つ先の駅から明石まで、徒歩連絡した。須波と三原との間は雨の降りしきる破壊された夜道を、重い荷を背負った男女から子供までが濡れ鼠となって歩いた。
姫路は、あの辺の重要都市の一つであり、空爆をうけて焼かれている。バラックの駅長事務所で、小雨に打たれて列に立ちながら、連絡について、いくらかでも具体的なことを知りたいと思ったら、若い駅員は、最後に「どことも電話が通じないんだから分らんよ」と答えた。それは、答えというよりも、寧ろ、これでもまだ訊くか、と居直ったような語気で云われたのであった。
どうやら帰京して、上野駅で人を待つ用事が起った。待つ列車は青森発東北本線の上りで、夜の九時すぎにつく予定であった。
大混雑をぬけて出口に立ちつくしたが、その前の信越線、八時二十分からがいつ迄経っても入って来ない。改札係の板の上には、時間表があり、定刻と、おくれて到着した各列車の時刻とが対比して書き込まれている。けれども、駅員たちは、柵の外に困却して佇んでいるわたしたち同様、その列車がそこに出現する迄は、ど
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