みのりを豊かに
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)普《あまね》く
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四六年一月〕
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やっと、ラジオの全波が聴けるということになった。
そのことが放送されたのは、九月下旬の或夜であった。田舎の家で、雑音だらけのラジオながら、熱心に九時のニュースをきき、世界の動きが身に伝わる感じでいたら、それにつづいて、局からのお知らせを申上げます、と全波聴取のことが告げられた。
日本のラジオが、今日まで国内放送しか聴かれず、全波は禁止されており、それを聴くことは犯罪として見られたということは、諸外国に例のない野蛮な文化に対する抑圧であった。しかし、この十数年間の民衆の実生活は全般にわたって、その細目に及ぶまで余り切りつまり、自由を失い、発言の力がなかったから、ましてやラジオなどについては、日本のラジオは、こういうものとしてうけ入れていたように思う。もしかしたら、「日本のラジオ」という世界文化に対して考えれば極りのわるいその不具性さえ、一般の人々には明瞭に意識されてさえいなかったかもしれない。それほど、世界に向ってひらかれているべき私たちの眼、耳、そして知識と心情とは根本から封鎖されていたのである。
その夜、局からの全波聴取のニュースを伝えたアナウンサアの話しぶりは私がこれ迄どんなニュースでもきかなかったほど、自身の感動に溢れた調子であった。アナウンサア独特の、何事を報道しても平静を失わない、はっきりしているが職業的平板さの伴った声ではなかった。アナウンサアは、全波を禁止していたこれまでの軍事的権力がどんなに封建的なものであったかということ、そのために国民は自分達の生活の実状さえ知らず、更には偽りで組立てた報道で操られて来ざるを得なかった事実を熱のある表現で説明した。今やようよう全波をきくことが出来るようになって、ラジオはラジオとして本来の機能を発揮する時機が来た。あらゆる聴取者よ、全波受信の設備をせよ。そして、日夜広々とした全世界の脈動に貫かれて生活を向上させ、新しい日本の創設のために努力するようにと、そのアナウンサアの表現は、率直で殆ど激情的でさえあった。いかにも、明暮その仕事に携っている人が、専門家として蒙っていた云うに云えない永年の不自由から、自
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