由になった! これからこそ、と意気ごんだ気組とよろこばしい激励とに満ちていた。日本独特のダラダララジオから、こういう声が響き、外ならぬアナウンサアが、こういう人間的感動をもって、彼等も一専門家として享受するようになった解放の息吹に胸を高鳴らしているという事実は、深くわたしの心を動かしたのであった。そして、我々日本人は、今日、他の文明国の人々たちがほとんど想像もし得ないほど些細な日常事象の一つ一つについて、可能となった積極性、或は合理性をよろこんでいるのであると痛感したのであった。
床についてからも、新鮮な勢で生活に導き入れられた、オール・ウェイブス、全波についてあれこれと考えているうちに、いろいろのことが思い出されて来た。
ラジオ屋と警官とが一組ずつとなって、東京各区をめぐり、ひとの家に急に入って来て短波受信機の設備の有無を調べ、もしあればそれを没収したり、処罰したりしたのは、いつのことであったろう。二年ほど前の初夏の頃であったと覚えている。
没収した優秀な機械は、逓信省や大蔵省の役人が家へもって帰って据えつけたというような巷間の噂をきいたのも、それにつづく頃ではなかったろうか。
短波を禁止していた日本当局は、誰かが優良品を輸入するとすぐ、短波受信に必要な機械の部分品をすっかりそれから剥ぎとって来た。一寸のことではもう短波の聴けないように破壊したのち、使用をゆるした。
いよいよ、明日からでも全波が聴けると告げられた時、そうして不具にされた設備をもっている人々は、どんなに残念に思ったことだろう。そしてまた、そこに出入りし、同じ隣組に属す何倍かの人々は、心からその残念をわかち合わずにいられなかったと思う。
全波機は、二百円より五百円迄で製作販売されると云われたけれども、わたしが相談するどの専門家も、それで出来るとは保証してくれない。大体十倍の価格がいわれる。その上、日本の今日の技術では、全波に切り替えて行くスウィッチの製作が未熟であって、とても自由に地球をめぐる電波は捕えかねるらしい。固定させて、それぞれの聴取目的の波長にやや合わせて、幾つかをきめて切り替えて行くスウィッチならば、相当の性能をもつということである。その他、絶縁体の質の問題とかもあるときいた。
一言にして云えば、全波が聴ける、という声、聴きたいという欲望は日本中に普《あまね》くあるのだが、実
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング