衣も、髪の毛も皆心に添うた様な晩であった。
机の広い面に両手を這わせて、じいっとして居ると、いつの間にか、今紀州に居る歌人の安永さんの事を思い出した。
それにつれて、種々の事が頭を通りすぎた中にどうしても私に、あの人へのたよりを書かせずには置かない様な事があった。
早い春の暮方、その頃歌をやって居た私共六七人のものは、学校の裏の草の厚い様な所に安永さんを中心に円く座って、てんでに詠草の見っこをして居た。
その時、私の樫の木の歌の中に「空にひ入る」と云う言葉があったのを、
「私にはあんまり強すぎる言葉なんです。
どんなにつとめても、斯う云うのは私に出来ません。
ほんとうに弱いんですよねえ、体も心も。
と云って、自分が沼津に居た時の歌だと云って、熱にうかされる様になって昼間火鉢によりかかって目をつぶるといつでも好きな夢を見られる嬉しさをうたった歌を誦して聞かせた。
細い細いこの上ない感傷的な調子で、体をゆーらり、ゆーらりと、前後にゆすって歌う安永さんの様子は皆の心を物柔かな悲しさに導いて行った。
私の左向うに座して、私の詠草を見たまま身動きもしずに下を見つめて居たあの人の様
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