のもそれが最後で、きょうまでの月日が流れた。今の私には、おとなしい縹緻よしでものも出来たおけいちゃんが、呑口つくりの娘としてめぐり会わなければならなかった境遇というものを沁々と思いやることが出来る。本当に、今はどうしているだろう。
昔『若草』という雑誌に「紅い玉」というおけいちゃんの思い出をかいたことがあった。もし、そんなものでもよんで便りをくれはしまいかと、その期待の心もその文章には書きあらわしたが、何のおとさたもなかった。富豪の思いものとなったのが本当なら、もしや、あのおけいちゃんも、粋と富貴をとりまぜた装で私などのわきは、すーと通りすぎてゆく心になって今日を生きているのでもあるだろうか。
女学校時代の友達というものも、おけいちゃんとはちがう形ではあるけれども、やっぱり夫々境遇というものに支配されて、昔の四人組も、思い出のなかのものとなってしまっている。やはり文学がすきで、作文のなかに漱石もどきに、菫ほどの小さき人云々と書いたりしていた高嶺さん。ショルツについて分教場でピアノを勉強していたこの友達は、独特なシントーイストの妻となって、小説を書く女とのつき合いなどは良人であるひ
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