それもよかろ」
 やがてお茂登はかすかな軽蔑とあきらめをこめた調子で云った。
「どうでおなごにトラックは動かさりゃ」
 広治が入営して一人になったら、雑穀やタバコの店だけを細くつづけて、二年三年はどうにか食べつなごう。それがお茂登のかねての計画であった。息子たちがいたからこそやって来れた。自分一人手の明暮れを思うと、一生にはじめて、寂しさとはこういうものかとわかる気持が迫った。
「お前ら行ってしまったら、おっ母さんは店へ来て臥《ね》る。何かことが起ったら、大きい声してたけりゃ、前の家からも来て呉れよう」
 そんなことを云いながら見廻す店先も、夜の電燈では古びた※[#「木+垂」、第3水準1−85−77、280−15]《たるき》や鼠の出る板の間の奥ばかり暗く深く見える。お茂登は機嫌のいい或る日冗談めかしてこんなことを云って笑った。
「おなごの子を一人も生んでおかざったのは失敗だった」
 戦地の源一からは、約束どおり折々便りが来た。水の出も速いが引くのもまた驚くほどですという土地での生活が身について来たらしく、そっちの物価を細かく書いてよこしたり、初めのうちの鉛筆でそそくさと書きなぐったような手紙とは、文面の大人らしさが目立って来た。一口に云えない困難辛苦や責任の日々が、この頃は漬け物をつけますというような平凡な報告のかげに察しられた。お茂登は、くりかえし、くりかえし息子からの手紙をよんだ。そして返事を書いた。書くときになると、つい一生懸命、私も元気に暮していますと書き、遠くにいる息子にはそう云わずにいられないのも、真実な心なのであった。
 出征家族の家の中のいろいろの取沙汰が口から口へ、本当のこと、うそのことをとりまぜて伝わった。召集がかかると町から云い交した女を親の家へつれて来て、その女はまた何年でも息子が戻るまではここで働くと田植にまで出て稼いでいるという話。運のいい親もある、という側からそういう話は話された。息子が戦死して手当が下ったら、半身不随のようになっている婆さまと三つばかりの子をおき放してかえってしまった嫁の話もあった。嫁の実家と親とがもめている話。お茂登は、せめて源一の嫁女でもいたら二人で働いて待つにどんなに張合があったろうと思い、口にも出した。けれども、そんな例をきかされて源一の身に万一のあった場合を考えると、結局その嫁も、あって仕合わせとばかり云い切
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