れない世の中に思えるのであった。
四
その夏は特別大規模の防空演習が行われ、村でも、世話役が亢奮のあまり走りまわって家々の洗濯物を飛行機から見えると云って引ちぎってすてたことが、後から物議の種になったりした。そして秋になった。
早々に、今年の入営は例年より早いかも知れないという噂が起った。地方によっては十月入営だそうだ。そういう話が出鱈目でもないらしかった。戦局についての噂もまちまちである。
広治はこれまでより熱心に新聞を読むようになった。地図とひき合わせて、身に近いこととして読んでいる。お茂登は切迫した心持で、そういう息子の姿を眺めた。
「早うなったらことだなあ」
「――どうともまだわからん。そのときはまたそのときで」
トラックにのって働きに出かける前に、風呂の水を忘れず汲みこんで薪まで出しておき、別にそれを云いもしないで行ってしまうような広治のやさしさである。お茂登は、二人が行ってしまったら、二年、三年と、息子たちのがっちりとした肩のかげに身をかがめて時を刻むように待つ自分だけを思い描いているのであったが、その耳にやがて意外のことが伝わって来た。お茂登の村を貫通して延長十里の十二間道路が出来ることになり、測量の結果、お茂登の家の背戸がへつられて、路の方が家より高くなる筈だというのである。お茂登は思わず、
「へえ!」
と目を瞠《みは》って、わが家の背戸をふりかえった。あさりの貝殼が散っている小溝のふちに野茨が一株、小菊が三四株植って、せま苦しい扇形にひろがった右手に鶏小舎のあるその背戸。田圃とその先の松山とが今は静かに西日を受けているそこを、コンクリートの十二間道路が走るとは。
「東山をきりひらいて平らにする計画だそうだで、道路は丁度、うちより七尺ぐらい高いところを通るわけですな」
「ふーむ。そいで、どうで、こっちの道は」
とお茂登は自分たちが腰かけている店先の往来を顎でさした。
「こっちはこのままじゃ。人間や自転車の通るのはこっちで、裏は主にトラックだそうだで」
お茂登は、
「ふーむ」
とより云いようないのであった。
「いつ測量に来ただろう、知らざった」
すると、めくら縞の羽織を着たその男は、わがことのような心得顔で獅噛《しかみ》火鉢の煉炭火から煙草を吸いつけながら、
「そら知らん間にやるにきまっとる」
と、煙管をはたいた。
「松
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