などという料簡ではいられないこと。クラブの機関紙としてこそ用紙の割当が許可され、みんなも慾得ぬきに執筆し、クラブそのものは少しずつでも大きくなってきているのに、ここで新聞を経営部の主張によって売ることになってはならないという結論がでた。半年間あれこれのいきさつがあって、婦人民主新聞は、クラブの機関紙として続刊される条件を闘いとった。この時期に新聞の編輯委員会に関係のあった大勢の婦人たち、クラブ書記局の人たちが、それぞれに職業上の経験と性格とを生かしてはげしく活躍した物語は、何時かまた話される折もあるだろう。新聞は松岡洋子を編輯長とした。
 櫛田さんは当時クラブの書記長であった。新聞そのものを実質的にクラブの機関紙としてゆくための闘いの時期、当然櫛田さんの心労ははなはだしかった。ちっとも金をもたない婦人民主クラブが、ともかくひとつの週刊紙を借金の上から送りだしつづけてゆくことは、楽なやりくりでありようなかった。また、クラブの仕事も新聞の仕事もひどかったから、そこにはどうしてもいろいろの摩擦がおこってくる。みんなのくたびれて泣き出したい気持がうずまいて、それは書記長である櫛田さんをひきずり
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