女の子とを櫛田さんがよい母として育てあげて、しかも子供たちがより複雑にくみ合わされた大人としての愛情の中で、やっぱり櫛田さんをよい母として信頼し愛してゆけるように生活する条件をひろげていたことは、多くの主婦、母、そして家庭の内では姑といわれる立場におかれる婦人の生き方について示唆するところが少くないと思う。
婦人民主クラブの活動を通して櫛田ふきさんの社会的な視野はひろがり、いつもわかわかしい人々の中で働いていることは、彼女の母性を拡大して日本の若い女性の世代への母性としていった。
四
クラブの仕事も、たえ間ない困難と障害にぶつかった。考えてみればこれらすべての困難は、みんな過去四年間の日本の社会そのものが旧さと闘い、民主化のすりかえと闘いつづけてきたその困難であった。
一九四八年一月から半年のあいだ、婦人民主クラブは特別むずかしい問題にぶつかった。婦人民主新聞が経営難から身売りしなければ立ゆかないという事情におかれた。それまで執筆者としての関係にだけおかれていたクラブの人々は、この危機にはっきり自己批判した。もう経営のことは男の人たちにまかせておいてもいい
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