とすじに愛する人との再会を確信し、それを待っている心持、それはその頃のわたしが生きている毎日の心持そのものであった。だけれども、戦争は惨酷であり、日本中には幾千人が同じようにあつい心で待っているか知れない、その人々の生命と愛情とを保証するどんな小さい条件も約束していない。壺井栄さんの物語をきいたとき、わたしはすずんでいる夏の夜の暗さが、ひとしお濃くあたりに迫るように感じた。もし万一その婚約の人が生きてかえることができなかったら。――ある日、その人の戦死が知らされたら。――櫛田さんは何として娘さんを支えるだろう。櫛田さんの母としての心、娘さんの心もち、どちらも、その期待、その不安によってわたしの実感にしみとおるものだった。その辛さにかかわらず若い娘さんのその心を共に生きて、守ってやっている母としての櫛田さんにわたしは、母というあたたかさにふさわしい、いいものがあることを強く印象づけられた。

 一九四六年の一月にどちらかといえば偶然な動機から、婦人民主クラブが誕生して、クラブの実際的な活動の中心になれる人をみんなでさがしたとき、わたしとして櫛田ふきさんをおもいうかべたのは、ゆきあたりばっ
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