ては、その時は何もしらずに。
やがて櫛田さんが帰ってから、栄さんはその人について少し説明した。もうその頃は男女学生の勤労動員もはじまっていて、日本青年団の女子部の仕事は戦争協力一点ばりであった。おそろしい運命にさらされて勉強もできずにいる若い女性に、せめて人間らしいよみもののひとつも与えたいと、編輯者である櫛田さんはいつも努力しているということ。それというのも、さっき一緒に来た娘さんが出征させられている婚約の人をもう六、七年まちつづけているから一層若い人々の今日の境遇を思いやってのことだという話だった。いわばあてのない人をそうして幾年も待っていても、と周囲がとやかく云いだして来ている。娘さんとしてはそれらの言葉に動かされる心持がない。母としての櫛田さんは、ぐるりの人々の親切から出る忠告をやわらかくうけながら、娘さんの一途な心をいじらしく思って、母と娘と心は一つにして婚約の人の帰るのを待っている。若い人々が戦争によって不幸になっている。その日々の気のはり、笑いの中に涙を母の実感としているのだということだった。
二
この話はわたしにつよい感銘を与えた。娘さんがひ
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