毎日の様に別に之と云う考えもなく、苦しまぎれに、
[#ここから1字下げ]
「どうかするから、
 お前なんか介わんで置け。
[#ここで字下げ終わり]
と云う主人をつかまえては腹をたてて居た。
 訴えられでも仕様ものなら大事《おおごと》になる危い金まで使って、村長に成ろうとか何とか騒ぎたてて、揚句のはてに来たものは前よりも多い借金の証文と悪口であるだけでもむしゃくしゃするのに、橋本の金の事まで思うと、余り意地が焼けて一素の事首でも括ってやれとまで思って居た。
 そんな事を思うに熱中して居たお関には、今主人が何を云って居るのだか、前に背中を並べて居る者達が何を云って居るのだか、さっぱり知らないで居た。
 いつの間にか皆が皆首をズーッと下げて額を手で支えて中[#「て中」に「(ママ)」の注記]に自分一人ポッツリと頭をあげて居ぎたなく横座りに仕て居るのを気づくと、お関は周章《あわ》てて前をかき合せて恭の顔色をうかがいながら下を向こうとした時、土間の方で誰かが案内をたのんで居るのが聞えた。
 お関は好い機にして立って行って見ると、北海道へ久しく行って居た清川と云う、主人と親しく仕て居る男が、まだ着いた許りと見えて鞄を片手に下げて立って居た。
[#ここから1字下げ]
「まあ、誰かと思ったら貴方で居らっしゃるんですね。さ、どうぞお上り下さいまし。
 今申して参りますから。
[#ここで字下げ終わり]
 お関は客を暗い土間に立たせたまま主人の所へ引き返して臆面もなくズカズカと皆の前に立って、
[#ここから1字下げ]
「まあ、貴方、清川さんが行らしったんですよ。
 お上げしましょう。
 早くいらっしゃい。
[#ここで字下げ終わり]
と云うなりバタバタと馳けて行った。
 静かに思いをこらして居た皆の者はあっけに取られて意外な破壊者を見送って、どうするのかと決心をうながす様に主人に目を向けた。
 厳らしい様子で落ついて居た主人は、急に、
[#ここから1字下げ]
「ああそうか、すりゃあ好く来なすった。
[#ここで字下げ終わり]
と云うと、皆に、
[#ここから1字下げ]
「今日はもう客がありますから一寸。
[#ここで字下げ終わり]
と二三度頭を下げてそそくさと暗い方へ行って仕舞った。誰も口を利く者も立つ者もない位魂を奪われた者達は、自分達をどうして好いのか惑う様に互に顔を見向わせて、静まり返って心の高まる様だったと思われて居た前の瞬間を不思議に思い浮べて居た。
 急に足元を浚われた様な皆は、始めの間こそ妙に擽ったい様な滑稽な気持になって居たけれ共、しばらくすると、自分達に加えられた無礼に対する反感がムラムラと湧き上って、前よりも一層引きしまった顔を並べて黙り返って居た。
 娘達は大嵐の起ろうとする前一刻の死んだ様な寂寞に身を置いて居る様な不気味さで互に袂のかげで手を堅く握り合ったり肩をぴったりすりよせたりして、何かたくらんで居るらしい若者の群を臆病に折々見合って居た。
 皆の心は怒で波立って居たけれ共、その時主人が最一度顔を出して何か一言、
[#ここから1字下げ]
「失礼してすみませんでした。
[#ここで字下げ終わり]
とでも云えば、
[#ここから1字下げ]
「いいえ、何。
[#ここで字下げ終わり]
と云う丈の余裕は有った。
 けれ共土間で声は聞えながら主人夫婦と客とはなかなか出て来なかったが、二階へ行くに通らなければならないので三人は一かたまりになって皆の座って居る傍を通った。
 白い洋服を着た男は主人を振り返りながら、
[#ここから1字下げ]
「お集りですね、どうぞおかまいなく。
[#ここで字下げ終わり]
と云うと主人は平手で人なみより大きい頭を叩きながら、
[#ここから1字下げ]
「いや何でもない。
 介わんのさ。
 ま、二階で一杯やるのさ。
 貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]して居ると酒で憂さ晴しだよ。
[#ここで字下げ終わり]
と云って大声で笑いながらドヤドヤと皆なんか小蟻のかたまりとも思わない様子で行って仕舞った。
 若者の憤りは頂点に達して仕舞った。
 どっかの隅で誰かが、
[#ここから1字下げ]
「何て云うこったい。
[#ここで字下げ終わり]
と云ったのが導火線になって十二三人の口からは火の様な罵りが吹き出た。
[#ここから1字下げ]
「一年もよく化の皮を被り終うせたな、爺い、
 到々尻尾を出しやがった。
「偽善者!
 打っちまえ、打っちまえ。
 何かまうもんか、彼那奴。
「貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]すると酒でうさ晴しだとよ。
 俺達に、酒は神のいましめ給うた何とかだなんて云いながら、お前だけには許し給うたのかい。
 あんまり馬鹿にしてもらいますまいよ。
[#ここで字下げ終わり]
 一人がドカドカと階子口に走けて行ったのにつれら
前へ 次へ
全42ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング