第3水準1−91−24]子は好く自分を知って呉れる二親もあり物質的の苦労を殆ど知ら無いと云って好い位の幸福な日を送って居るのに、お久美さんは二親は早く失くし兄弟も友達もなくて、心の人と異った伯母に世話をされて居た。世間知らずで有るべき年の※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は山程積んで目を覚すとから眠るまで読んで居た非常に沢山のお話で、継母の辛さ、又は他人の家へただ世話になって居る小娘の心づかいをよく察しられる様になって居たので、自分の家のない事父母の死んだ事は甚く同情すべき事に感じられた。
 友達のむずかしい※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が此んな人を此上ない者に仕て居様等とは誰も思って居なかった。
 一時はお久美さんの事を話して、
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「まあ貴女がそんな方と仲よしになって居らっしゃるの、
 ほんとに思い掛けなかったわ。
「ええそりゃあほんとうよ。
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と、友達共が阿呆な目をしてびっくりするのが面白くて、やたらと自分とお久美さんの事を喋り散した事があった。
 けれ共或時何かにつれて、人を驚かす材料に自分の一番大切な人を使って居たと云う事が非常に下等な恥かしい事に思えたので暗闇に座って此上なく改まった気持で、
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「お久美さん御免なさい。
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と云った時以来人にきかれた時以外にお久美さんのおの字も口から出さなかった。
 そしてだまって居れば居る程自分に対するお久美さんが高まり尊く成りまさって行く様に思って居た。
 十四位の時、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は丁度何でも世の中のすべての事に神様だの自然の大きな力を感じてどんな物にでも感歎せずには居られない心の状態にあった。
 そのためにお久美さんにやる手紙の中に、まるで祈祷を凝す様な気持で、
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私共はまだ生れなかった先から今日斯うあるべき運命が神様から授けられて育ったのだと思うより外考え様がないと思います。
まるで見知らなかった二人の小さな子供が、彼那に急に彼那にしっかり彼の時彼処で結び付けられたと云う事は只偶然な事の成り行きだと云えましょうか。
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と云ってやった事があった。
 勿論その意味が※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の思う程はっきり十六のお久美さんに解ろうとは思って居なかったけれ共そう云わずには居られないのであった。
 一日一日と※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の心は様々な遷り変りをした。
 或時は自分の周囲の者すべてを例えそれが人の命を奪った大罪人でも快い微笑と手厚さで迎えたい時が有った。
 又或る時には世の中の隅から隅までその中に蠢いて居、哀れに小っぽけな自分までが厭わしく醜くて自分の命、人の命などが何のために如何《ど》うしてあるのか無茶苦茶に成って仕舞った時も有ったけれ共、大海の底の水は小揺ぎもしない様に、幾多の心の大波の打ち返す奥の奥には「私のお久美さん」が静かに安らかに横わって居た。
 そしてどんな時でも世話をしてあげなければならない自分で有った。
 お久美さんはよく先の切れた筆でロール半紙にヌメラヌメラとまとまりなく大きく続いた字の手紙を寄こした。
 取り繕わない口調でたどたどと辛い事悲しい事を云ってよこされると※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の目の前には惨めなお久美さんの様子がありありと浮んで見えた。
 殆ど無人格な様な年を取った主人を無いがしろにして何でも彼んでもお関の命のままに事の運ばれて行く山田の家庭はごった返しに乱れて居て口汚い罵りや、下等な憤りが日に幾度となく繰返されて居る中で、突きあげられたり突き落されたりして居るお久美さんの苦しさは到底その上手くもとらない口で云い現わす事などの出来るものじゃあない事はよくよく※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子も知って居た。
 お久美さんはお関に取ってたった一人しか無かった妹の娘なのだけれ共病的な心は真直に可愛がる事をさせないで、年と共にお久美さんが娘々して来るにつれて段々と激しい虐め方をした。
 お久美さんも其れを知って居た。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子もそれをさとって居た。
 けれ共時の力を押える訳には行かなかったのである。

        四

 お久美さんと約束の日が来た。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は朝から何となし落ち付けない気持でカタカタと机の上を片づけたりして居たが、お昼を仕舞うと先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ、髪を一寸撫でつけるなり飛ぶ様にして家を出て行っ
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