りないで一生僅か許りの隙間を作って居なければならない唇は、まるで大夜具の袖口の様で荒れて白く乾いた皮は石灰を振りかけた様にパサパサになって居た。
 男の様に育った喉仏はかすれた太い声の出る理由を説明はして居るものの不愉快な聞手の気持を和げる役には立たない。
 美くしいと云うまででなくても賢しこそうなと云う顔を好む※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はお関の顔を見るとどうしても哀れな模倣で一生を送る猿と違いはない様な感じを押える事は出来なかった。
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「何の何のお関さん。
 四十代は男も女も働き盛りですよ。
 生れついた片輪の事を考えれば、人並みに生れついたのを有難いと思わなけりゃあなりませんよ。
 年をとれば皺の出来るのは、勿体ないがどんな立派な宮様だって同じですわね。
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と云った祖母の言葉にお関は幾分か力を得て、又目前にもう七十を越した自分よりもっともっと皺だらけの美くしさも何にもない年寄が居るのをはっきり知って、
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「ほんとうにそうですねえ。
 そう云って見りゃあ毎朝お天道様のお出なさるも有難い事ですねえ。
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と云いながら、杏の砂糖漬けだの青梅から作った梅酒などを※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子達にすすめた。
 お久美さんは※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の話し掛けるのを待ち兼ねて居る様にしてじいっと座って居た。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子も亦たった一度でもお久美さんに話す時を得たさに居たくもない所に座って、仕たくもない――平常なら此方から頭を下げても仕たく様[#「く様」に「(ママ)」の注記]な下らない馬鹿話しをからくり人形の様に、無神経な木偶の様にぐずぐずと喋って居なければならなかった。
 よく※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の気を見て居るお関は※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が口を切る様に少しの暇を与えては、漸うさぐり得た二人の話の緒をヒョイとわきから引っ浚っては楽しんで居る。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は素直にお関の玩具になっては居られなかった。どうしたってお関は今夜話させまいと掛って居るのだと思うと半分むしゃくしゃになってつとめて面白そうに高声で東京の事だの親類の子供達の噂だのをした。
 話の最中に何を思ったかいきなりお関が、
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「ああそうそうお久美、
 お前一寸洗場へ行ってね、さっき取りこんだシャツに鏝を掛けて来てお呉れ。
 恭は一寸出て行って居ないから。
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と云いつけた。
 お久美さんは悲しそうな顔をして、それでも半句の不平も云い得ずにコトコトと暗い土間から外へ出て行って仕舞った。
 うつ向いた眉のあたりには苦痛を堪えるに練らされた様な堅い確かさと淋しさが浮んで居たのを見ると※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は何の為にわざわざ今頃になってからお関が人っ子一人居ない洗場へお久美さんを追い遣ったかが明かに見え透いて、譬様も無い程情無くなって仕舞った。
 少し珍らしい事になると話しまで聞かせない積りなのかしらん。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はお関の極端な仕打ちに驚くと共に、あんなに柔順に無言で辛さに打ち勝って行けるお久美さんが偉い様に思われた。
 もうすぐ帰ろうと※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はしきりに思ったけれ共、お久美さんが行ってから幾分か心のおだやかになったお関は前よりはよほどくつろいだ調子で、ほんとうに話をして居る気になって種々の半年間に起ったこの猫の額程の村の「事件」を話して聞かせた。
 けれ共※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はもう浮腰になって仕舞って、どうしても落つけなかった。
 来なければよかったと云う悔と、お久美さんに対する一層のいつくしみが混乱した気持になってそれからじきに※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は祖母をせきたてて家へ帰って仕舞った。

        二

 次の日はどう天気がぐれたものか朝から秋の様にわびしい雨が降って居た。
 昨夜はあんなに好い月だったのにやっぱり天気がまだかたまらないと云いながら家の者は陰の多い部屋にこもって、各手に解き物をしたり、涼風が立つ頃になると祖母が功徳だと云って貧しい者に施すための、子供の着物だとか胴着だとか云うものを小切れをはいで縫ったり口も利かずにして居るので、皆から離れたがらんどうな大部屋にポツンと居る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1
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