入って来た。ベッドに近づいて朝子が目をあいているのを見ると、咄嗟《とっさ》に表情に出た安堵と憐憫の感動をそれとなし抑えた声で、
「気分は?」
と云った。
「眠ったらしいから、もう大丈夫だ、ね」
そして、わざと心持にはふれずに、
「ともかく電報うっといたから」
と云った。
「帰らないということとお悔みとをうっておいたから」
「それでいいわ。ありがとう」
その昼、朝子はすこしおくれて素子に扶《たす》けられながら食堂へ出た。窓に並んでいるゼラニウムの赤や桃色の満開の花鉢、白い布のかかった食卓の上に並べられている食器も、それに向ってかけている男女の顔ぶれも、いかにも下宿らしく、何ひとつ一昨日と変ったことはない。けれども衰弱している朝子の神経にはそこいらにあるのが妙に目新しく、一人一人の顔もくっきりとした輪廓をもって心に映った。食事がすむと、頭をすっかり韃靼《だったん》風の丸剃りにした技師をはじめ居合わせた人々が、朝子に握手して悔みをのべた。ヴェルデル博士と呼ばれている小柄で真面目な老人が最後に朝子の手を執って、地味な楔形の顎髯と同じに黒い落着いた眼差しを向けながら、
「そうやって勇気を失わ
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