るのであった。殆ど同時に学校についた。そしたらハアハア云って背中のランドセルの中で筆入を鳴らしながら駆けて来た友達たちが、先生! 先生! 僕たち電車とかけっこして来たんですよ、と叫んだ。「そしたら先生が、そりゃ偉かったね、って褒めたの。でも僕褒めるなんて変だと思うなア、ねえ。人間より電車が早いにきまってるのに。心臓わるくしちゃうだけだ、ねえ」そういう意見で保は母に話した。多計代は、それを保の思慮のふかさの例として家庭のひとつ話にした。朝子は保と九つ年がちがった。そして何度かその話をきいているうちに、追々多計代とはちがった感情できくようになった。朝子には、保のそういう合理的なようなところが却って少年っぽさの無さに思え、何となし性格としての不安を抱いたのであった。
数年前離婚した佃と朝子が結婚したのは、多計代の反対をおし切ってのことであったから、当時佐々の家のなかは、そのことを中心として絶えずごたついた。娘に対して多計代もゆずらなかったし、朝子も娘だからという理由だけでゆずるべきところはないと思ったし、仕舞いには両方ともが泣きながら、激しい言葉をぶつけ合うような場合も起った。或る日、やはりそういう場面に立ち到った。昂奮した多計代は上気した頬へ涙をこぼしながら朝子を罵った。すると、それまで黙ってかげの方にいた保が、紺絣の筒袖姿で出て来て、坐っている二人を見下すところに佇んだ。自然多計代も朝子も黙った。すると暫くして保が、
「姉さん、何故結婚なんかしたんだろう」如何にも深い歎息をもって云った。朝子は思わず顔をあげた。保のふっくりとした顔は蒼ざめていて、ただただそういう衝突が堪え難いという表情である。それを見て、朝子は口が利けなかった。それほど、保の表情には、しずかさや平和を切望する色が、殆ど肉体の必要のように滲み出ていたのであった。
その時から四五年経っている。けれども今、外国の下宿の真昼の露台で朝子の思い出の中に甦って来たそのときの保の顔つきと、一番最近の印象にある保の表情とは、そういえば、何と似ているだろう。朝子の出発がきまったとき、庭で家族が写真を撮した。両親の間に朝子がかけた。朝子と母親との間にあたる後列に、おかっぱに白リボンをつけたつや子と並んで保が立った。その写真のなかで保は高校の制服をきちんとつけて、大柄なゆったりとした態度で立っているのだけれども、口を結
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