とおり包括のひろさにかかわらず、女という響は単数で響いている。女である故にめぐりあったこの世の惨苦を、女である故にもつことの出来た愛の力で生きぬいて来たこの女詩人はまことに純一無垢に女であって、しかも、詩のなかに響く女は単数である。それはおそらく闘病の生活という特殊な条件からも来ているだろう。その境地は清純であるとともに常に一つの女の内部からだけ主観的にうたわれていることに芸術上の問題をも含んでいるのである。
 永瀬清子氏の『諸国の天女』(河出書房)は、私という文字で、一人の女の心をうたっている時でも、そのわたしという響のなかに、何とはなしどっさりの女の旺《さかん》な気配が動いていて、『静かなる愛』とは実につよい対照をなす美と生活力とを表現しているのは感興をひかれる。

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諸国の天女は漁夫や猟人を夫として
いつも忘れ得ず想っている。
底なき天を翔けた日を

人の世のたつきのあわれないとなみ
やすむ間なきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
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 諸国の天女、女たちが忘れぬ喜びとは何だろう。

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ワガ本性ハカナシ
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